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風路のこぶちさわ日記

「無冠、されど至強」ふたたび!

昨年暮れに腰を痛めていたときに読んだ本「無冠、されど至強」。
国境や民族って何だろう? そういうものを軽々と超える人たちがいるんだな・・・
サッカーファンでもないのに、引き込まれるようにして読んだ本。
(元)サッカー少年・サッカー青年だったら、どんな感想を持つのだろう・・・と、そのとき思ったのでした。

歩こう会仲間でやつねっと仲間のPさんが感想を書いてくれて、もう一度読んでみたくなりました。


■「無冠、されど至強」
少年の頃から差別と貧困の中で育った金明植少年の唯一の楽しみは草サッカーだった。
1954年、高校生になった金少年はサッカーの強豪「都立朝鮮高校」に入学。
その年の7月、東日本サッカー選手権でベスト4,翌1955年1月は全国高校サッカー選手権でベスト4の成績をおさめた。
しかし同年4月、政治的な思惑からせっかく入学した高校は「各種学校」扱いになってしまい、「東京朝鮮高校」は「都立」ではないからという理由で、高体連の大会への道が閉ざされてしまった。
この本は、夢までも閉ざされたしまったかに見えた状況の中でサッカーを続ける東京朝高と金明植の物語。
後に当時の金日成首相からスポーツマスターの称号を贈られたほどの金明植の人生とサッカーに対する情熱、そして1966年のワールドカップでベスト8に入った当時の北朝鮮のサッカーの先進性が余すところなく取材されたスポーツノンフィクション。

当時単に「釜本邦茂」が好きだったというだけのミーハーサッカーファンでしかなかった私でもよく知っている「岡野俊一郎」「長沼健」「帝京の古沼監督」東京五輪・メキシコ五輪当時の「八重樫茂生」「宮本正勝」、1970年代の高校サッカーを牽引した「習志野」「清水東」「日大山形」などなどの固有名詞が続々でてくるのも懐かしく嬉しい。
そして出てくるそれらサッカーチームやサッカー界の重鎮すべてが、金明植のお世話になったり、触発されたりして感謝している。
そして実際彼の率いる「在日朝鮮蹴球団」は強かった。
おそらく当時まだJリーグのなかった日本で、どの大学の名門チームよりも、どの社会人チームよりも群を抜いて強かったと思われた。

しかしこの本が訴えたいのはそういうことではない。
「たかが、国籍、民族というもので分断することでいかに社会や文化が停滞するか。
また夢の存在がどれだけ人間を大きく成長させるか」というホンの数行に凝縮されたその言葉だろう。
近頃のLGBTパレードなどでよく見かける「We are already living together」(ぼくらはもう一緒に生きている)というスローガンそのままを、50年以上まえに既に実行していた金明植という一人の人生を通して、著者が強く訴えかけてくるものが熱く読み取れた。
自分だったら多分本屋さんに行っても選択しなかっただろう本に巡り会えました。
おかげで至福の3時間でした(一気に読んでしまった^^)


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こちらこそありがとうです。
by kaze-michi | 2019-08-20 22:50 | 本・音楽・映画・劇・テレビ | Trackback | Comments(0)