高江の今

その名前を知ったのは、三上智恵さんのドキュメンタリー映画「標的の村」で。
素晴らしい自然が残るその村を囲むようにヘリパットを作る計画があり、そこで暮らす人々の平和への思いを知りました。
その後、その映画の続編とも言われる「戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)」を見て、本当に沖縄のこと知らなかったな~と、そして知らないということで沖縄に戦後もずっと犠牲を強いていたのだな~と思わずにはいられませんでした。
そして昨年11月、北杜市から沖縄・辺野古ツアーに行く企画を知り、ぜひにと参加させてもらったのでした。
11月でも夏のような日差しと美しい海、美味しい食べ物とお酒!
観光バスのガイドさんが「普通」に語る、沖縄戦の筆舌につくせないような惨禍。
地上戦が行われるとはそういうことなのか・・・
死体を踏まずには道路を歩けなかったとか、一家全滅の家がいくつもありその中には名前さえわからない赤ちゃんもいたとか(名前を知っている人がみんな死んでしまったから?)・・・だから平和の礎には「誰々の子」としか書かれていないそうです。
さとうきび畑の歌詞にある「あの日鉄の雨に打たれ、父は死んでいった・・・」の鉄の雨というのが急にリアルに感じられたのでした。

7月10日の選挙で沖縄の人々は現職の大臣より、基地を作らせないことを公約にした伊波さんを圧倒的に支持しました。その翌日早朝から、高江のヘリパット基地を作る工事が強行されているそうです。
本土ではその様子は全くといっていいほど、報道されていません・・・(少しはあるのかな?)

もしも八ヶ岳にオスプレイの基地を作ることを国が強行してきたら・・・?
想像してみようと思っても、無理・・・と思う自分が情けない。
●三上智恵の沖縄撮影日記「わずか9時間の歓喜」