2010年 12月 02日
浅川兄弟ウォーク本番
「歩こう会」で今次々に秀逸なコースを発掘しているおくつさんに協力をお願いしたところ、快く引き受けてくださって素晴らしい展望の道ができました。
そして一緒に6月と9月に歩いて道を覚え?、きょうがいよいよ本番です!
天気予報は傘マーク。「集まってくれたのは7人」という夢を見て目が覚めました。
しかし朝起きてみたら快晴じゃないですか!うれし~♪
高根の図書館からまずは生誕の地へ。(1番上の写真です)甲斐駒が光っています。
墓所と父方の祖父小尾四友さんの句碑を見学。 「不断きく 声ははなれて 初烏」
八ヶ岳に向かって歩いて行きます。八ヶ岳神社でお昼。歩いていると暑いくらいですが、止まると冷えてくるので、みんな陽だまりへと集まってきました。
奥秩父の金峰が白く輝いています。稲を刈り取った後の田園風景をバックにパチリ。もうすぐゴールがもったいないような道です。右は資料館から頂いたパンフレットと作成した資料。
40才という若さで韓国で亡くなった巧さんは韓国の亡憂里(マンウリ)という共同墓地に葬られました。
1966年には功徳碑が、86年には追慕碑が、巧さんの業績と人柄を慕う韓国林業試験場職員の手によって建てられました。
そこには「朝鮮の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に生きた日本人、ここ韓国の土となる」と韓国語で刻まれています。
浅川巧の墓は日本人には長いこと知られないまま、韓国の人々によって永く守られてきました。現在も命日には彼を慕う韓国人が集まり墓参を行ってくれています。
野の花をたむけてねむれ いつの日が たずぬる人のありと思へば (伯教「巧の墓に」)
<北杜市ホームページより>