2012年 03月 14日
忘憂里へ
そこに浅川巧さんのお墓があるのです。
ソウル市郊外ということ、近くには地下鉄の「忘憂」という駅があること位しか知らなかったのですが、なんとかなるのでは・・・と思っていました。
浅川兄弟資料館の学芸員・澤谷さんからもだいたいの行き方を伺ったので大丈夫かと・・・。
しかし!私たちだけではきっと行きつけなかったと思います。
この共同墓地の地図上には何の印もないし、標識もないし、かなり広いし。
行けたのは頼もしい助っ人・ともこさんがいてくれたおかげです。
本当に感謝!
(ともこさんでさえ、「あれっこの辺だと思ったのに・・・」「こんなに遠かったかしら?」なんて言っていましたから)
ともかく、地下鉄に乗り、入口までタクシーで行って30分くらいは歩いたと思います。石垣が目印。横の階段を登れば見覚えのある円い石碑。お兄さんの伯教さんが建てたもの。
左には「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に生きた日本人、ここ韓国の土となる」と刻まれた記念碑。
お兄さんの歌碑もあるのかと思いましたが、(「野の花をたむけて眠れいつの日か・・・」)ここではなかったようです。
「ku:nel」(クウネル)という雑誌の1月号に「浅川巧さんのこと」と、10ページほどとりあげられています。最後の方に巧さんのお墓をずっと守ってくださった韓国の方が、その訳を尋ねられてこう答えています。
「浅川巧の行動はとても人間らしいものでした。よい行いは人を動かします・・・」
タクシーが安いので、運転手さんに共同墓地を伝えることができれば、何とかなるかと思います。
入口から二又に分かれますが左の方に30分位歩くと右側に石垣が見えてきます。その横の階段を上ってください。